さて第2話です。今回は染師の元へ伺い染色キットのレシピ開発をしてきたお話です。染色キットのレシピ開発をするべく染師の元へと秋田県は鹿角市に行ってきました! ついて早々染師に案内してもらい染色にまつわるレクチャー&資料館巡り。
ちなみに2日間はここを拠点にミーティングを重ねました。
中にはファミリー・サポート・センターの常時託児所が整備されており、今回の趣旨とは違いますが急遽見学することに。
ここ来て良かったです。 職員の皆さんがとにかく優しい。今回同行してくれている染師さんも子育て期の母親で、こちらの施設を利用することで時間を設け染色できていると話されていました。鹿角は秋田県内でも有数の子育て支援を行っている自治体だそうです。染色の骨組みを作る上で子育て期を取り巻く環境を考慮するのに大変参考になりました。
そしてここへ。
鹿角の山野ではムラサキやアカネが豊富に自生しており、奈良時代からその根を使っての「紫根染」と「茜染」の技法が伝えられてきたそうです。江戸時代には藩のサポートを受け産業として発展し、その南部染は京紫、江戸紫にも増して優れた逸品と言われ朝廷や将軍への献上品としてももてはやされました。
明治になり日本へ化学染料が入ってくると紫は衰退し途絶えてしまいましたが、大正の始めに栗山文二郎がこれを復活させ、鹿角の紫根染と茜染は蘇りました。技は人間国宝となった文次郎から息子の文一郎に受け継がれましたが、100回を超える染の作業や長い年月を要することなどから、文次郎の没後には完全に絶えてしまったそうです。染めの文化によって支えられてきた鹿角市は現在も天然由来の草木染めが盛んで、この郷土資料館では当時の染色技法や型を拝見し矢継ぎ早にこちらへ訪問。
ここ旧関善酒店主屋の屋内の一画でも染色が行われているということで視察に伺いました。
ガイドしてくれたのは旧関善酒店主屋の管理団体である「NPO法人関善賑わい屋敷」のスタッフさん。今日は染色活動していない日だとか。残念。 でもそのままガイドを受けます(笑)
商店街のほど近くに位置するこの旧関善酒店主屋は明治38年建造された築100年を超える建築物だそうで、正確には桁行14間(約24.8m)、梁間11間(約21m)の大規模な平入町家。もう本当に土間から何から大きくて、その全てを凝視すると職人の技が至るところに活きているという凄い屋敷でした。
かつては酒造りを営み、地域の政治、経済、文化の発展に寄与した旧家・関家の職場兼住居だったそうです。
染色、酒蔵、炭鉱の3本立てによって経済を回してきたこの鹿角の土台、そのためか、または僕の先入観のせいか、出会った人みんなから職人的なこだわりや優しさを感じられました。
郷土史を教えて頂いた後は、打ち合わせと共にキット化する実験です。
果たして染色キットが想定する内容で綺麗に仕上がるのか・・。
2日間かけて藍染、刈安染(黄色)、茜染めの試行を重ねます。
キットの最適量を想定しグラムで減量を測りながら調整。
原料の苅安
キタコレ10gmでバッチリ染め上がった!
茜もバッチリ良い感じ。
藍染はどうでしょうか。一番期待しているのでワクワクが募ります。
なんか違う(笑)画像では分かりにくいのですが、ムラもでて色味も想定外に淡い。つまり今回は失敗です(笑)技術的に難しいのではなく、そもそも材料とレシピに不備不足があったことも敗因につながっていました。
良かったのは、ここをさらに精査していけば、技術がなくともシンプルに立派な染色ができる可能性は大だと分かったこと。
ということで、今回は2種類の染色成功(大体ですが)に終わったのでした。 さて前回お伝えしていた通りこの育児期の染色による就労サポートが完成後、災害時にも役立つのでは?という話にも触れたかったのですが、書き上げてみたら長くなってしまったので次回にお話ししたいと思います。