ベビーモスリン物語~第2話~

ベビーモスリン

前回はベビーモスリンとの出会いに触れましたが、その頃のぼくらピースジャムは任意団体として物資支援をしつつ、将来的にはベビーモスリンを通じた「ママの雇用支援」も考えていました。(前回の記事はこちら)。そんなわけで、今回はベビーモスリンの「雇用」についての物語、語られてこなかったサイドストーリーをお話ししたいと思います。

震災当時は被災によって子どもを預かってくれる場や頼れる人が生活圏にない人が多くて「子どもがいると働きたくても働けない」状態になった方が大勢います。

さらには地域の「遊び場」も被災し、子連れで外出の機会が減少したママは避難所や仮設住宅に閉じこもりがちの育児環境になりました。もちろん人と接しなければ誰だって塞(ふさ)ぎ込みます。塞ぎ込めばママは育児の負担が心身ともに増加し、子どもと付きっきりだからパーソナルタイム(自分の時間)は激減。こんな現状を目の当たりにしました。

女性も男性も多様なライフスタイルがある現代ですが、育児に関しては旧時代のまま。

ママだけが子育てするのは当たり前だし普通。といった現代では偏った考え方や風潮が地方には残っていたりするので、ヘルプの声を発しにくくキャッチされにくい。

そこで問題解決のために、この地域のママに紐付く社会的な因果を調べてみよー!ってことで昔をみることにしました。

僕が生まれた約40年前に比べて70%も出生数が落ちている気仙沼市では、少子化のせいか公園や遊び場に注力がされておらず、現状として遊具は古くて遊び場の数も少ない。

また市町村合併するも過去に比べて出生数が少ないため、広い地域の中で子育て層はポツポツと点在している状態です。日常的な繋がりがなければ育児コミュニティは生まれにくく、広がりにくいのでは?と思って調べてみると、災害前の育児コミュニティはそもそも探しても出てこない。

と言う訳で、こんな環境の中で生活する1人のママがたくさんいるのだと知ったので、育児期を皆で支え合えるコミュニティを作りたいと思い、子育て層の悩みの種であった「仕事」と「育児」と「つながり」を両立している職場を探してみたけどなかったので、これをどう両立できるか元バーテンダーなりに考えてみることに。

子育て層の悩みをイメージしたお酒の瓶

※これは当時の僕の想像の中に存在したリキュール(お酒)のイメージ画像のため瓶はフィクションです(知ってる)。

この3つのリキュールを「職場」というカクテルシェイカーに入れて振ったらどんなものが生まれるのだろうと想像すると、ちょっと未知数すぎてワクワクします。※世のバーテンダーはこんなことばかり考えている訳ではありません。

地元のママたちに話すと「それ面白そう!」という反応でしたので即実践です。

ベビーモスリンの生地の選定をし、機能性を上げるのに特殊織りを施して開発し、あとは縫製するだけの段階にしたらママさんの出番です。

口コミで「子育てしながら働きたい人いますかー?」と募集をかけたら意外にも20名以上の申し込みがきて、非正規雇用とはいえ全員雇用したら弱小任意団体の僕らは倒産するので、最初は7名のママからスタートです。小さく可愛くスタートです。

子どもは8名の赤ちゃん。

そんな職場はここ。

当初の職場である公民館

なんと公民館!

災害後は店舗の賃貸ニーズが高すぎて借りるのが困難というかほぼ無理だったので、最初は地域の公民館を拠点に活動することにしました。

ここにママさんが子連れで訪れます。

ミシンの練習をするママたち

初めてのミシンに慣れるまで2ヶ月間の練習をします。

練習をしながらも、

ベビーヨガの様子

月2回ほどの頻度でベビーヨガや手遊びのワークショップも催しました。同イベントは一般参加可能だったりと何でもありの職場で、多い時には60名くらいになるので、やたら親子で賑わいます。もう何かのフェスです。

そんなママの縫製台の横に鎮座するベビー

そんなママの縫製台の横に鎮座するベビー。

子どもが真横から応援してくる職場なんてそうそうありません。

もうこの笑顔の破壊力。我が子じゃなくても、自分頑張ります!ってなります。
そんな応援を受けながら上達していくママたち。

子どもをおぶりながら仕事をするママ

子育て期間は子どもに関わることだけではなく、家のことや自分のことにも時間が必要なので、職場のシフト通りにはなかなか働けません。この職場は育児や仕事の時間に追われるのではなく、自分のライフスタイルの中で無理なく育児し働けるようにしたいと思いました。

そのため「働く時間は自分で決める方式」を導入しました。

そんな方式ありませんが。

週1回以上から働けて、最大で週5日間。時間は1時間から7時間まで選べます。突然の子どもの発熱やアクシデント欠勤にはママもスタッフも快く対応する。というルールを決めました。ちなみに自社工房で活動する現在もそのままルール続行中です。

そんなこんなで2012年にベビーモスリンの雇用が始まりました。

今回はこの辺で終わりになりますが、最後に全くどうでもいい余談をします。

させてください。

とにかく当時は毎回子どもを含めて20人くらいで公民館に大移動するので、事故が起きないよう安全運転を全員心がけました。その時の団体の車は

愛車である「サイトウくん」

瓦礫(がれき)の中もガンガン進んでくれたオフロードな愛車。名は「サイトウくん」です。

ステッカーに書いてある通り、当時は任意のボランティア集団です。

この屈強な車に重いミシンを大量に積んでスタッフ齋藤(ラガーマン)が汗をかいて移動する後ろを、

佐藤さんが乗る軽自動車

僕がこのかるーい軽自動車で颯爽と追いかけます。

軽快です。オンロードは軽快で爽快です。

大抵積み込んでいるものはありませんが、胸に秘めた情熱は重いです。

・・はい!

良い感じでどうでもいい話でしたね!

今回も読んでいただきありがとうございました!

また会いましょう!

<ピースジャムとベビーモスリン>

2011年3月の東日本大震災直後から、ロンドン在住の日本人乳幼児ママたちによる東北支援として始まったベビーモスリンプロジェクト(旧・モスリンスクエアプロジェクト)。
被災地でのベビーモスリン配布にはじまった活動は、世界中で話題となった。
被災地では布の便利さも話題となり、ロンドン在住ママと気仙沼ママたちの手によって初の日本製モスリンスクエア「ベビーモスリン®」が誕生した。
現在では、ピースジャム工房にて気仙沼のママたちによる製作がされており、母親たちの雇用支援にも繋がっている。

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.babymuslin.org/

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