気仙沼で3人の子どもを育てるママに聞く 「震災から今日までの7年と、育児のこと、仕事のこと」

左からサニエル、次男のしんちゃん、千葉さん

NPO法人ピースジャムとは

2011年の東日本大震災を機に誕生した赤ちゃんとお母さんを支援する団体。宮城県気仙沼市を拠点に子育て・雇用支援を行っている。地域で安心して子育てができるコミュニティづくりを目指し、子育てと仕事を両立できる仕事場の提供と、これによる雇用の創出、お母さん同士の交流の場の提供、子どもが安心して遊べる環境づくりに取り組んでいる。 今回はぼくサニエルが、ピースジャムで働くママ・千葉さんに、震災から今日までの7年とピースジャムとの関わりについて伺ってきました。

ピースジャムで働く千葉さん

妊娠8ヶ月で被災。気仙沼で無事に産めるのか・・・

ピースジャムで働く千葉さん

ピースジャムで働く千葉さん。震災当時のことを振り返ってくれた。

──震災当時の状況を教えてください。

あのときは一人目の子を妊娠していて、ちょうど妊娠8ヶ月でした。家族と暮らしながら、出産のときを楽しみに待っている日々でしたね。

地震が起きた時間は、主人の家の離れの2階でテレビを見ていました。その離れが古い建物だったので、かなり揺れたんです。本当にすごい揺れでした。1階にひいばあちゃんがいたので、揺れが収まったら下に降りていきました。そしたら、ひいばあちゃん、「とりあえず、ひじき干そう」って言うんです(笑)。ひいばあちゃんに言わせれば、昔も大きい地震があったけど、津波なんか来なかったから今度も大丈夫。「だから、ひじき干そう」って。

主人の家は唐桑(からくわ)の小原木(こはらぎ)っていう地区で、目の前がもう海なんです。でも、ひいばあちゃんも大丈夫だって言ってるし、私自身も「津波が来るから逃げなきゃ」っていう考えはありませんでした。

──でも、津波は来た。そのときは、どうしていたのでしょうか?

地震の後、しばらくしたら主人もお姑さんも帰ってきて、みんなで避難することにしたんです。自治会館みたいな場所が避難所になったんですけど、周りが「もっと高い場所に逃げたほうがいい」って言っていたので、近所の山の上のお家に避難させてもらいました。

結局、自治会館も津波に飲まれちゃいましたし、主人の家もダメでした。避難していた場所からは海のほうを見渡せたので、主人は実際に津波の様子を見ていました。私は怖くて見られなかったんですけど、主人から「家、流されちゃったからもう無いよ」って言われて・・・。小原木は地区全体が津波に飲まれ、どの家も全壊でしたね。


──津波が去った後、どんなことを考えていましたか?

家が無くなっちゃったってことより、「この子をちゃんと産めるのかな・・・」「気仙沼で産めるのかな・・・」っていう出産の不安がいちばんでした。出産予定だった産婦人科も浸水しちゃったので、気仙沼市立病院に移ることになったんですけど、気仙沼市立病院も電気が絶たれて診察できない状態。あと2ヶ月で予定日だけど、どう考えても2ヶ月で元に戻るわけないし、どうしよう・・・って。

結果的に、無事に気仙沼市立病院で出産できましたが、震災直後は「この先、どうなるんだろう・・・」っていう不安しかありませんでした。

人と関わる楽しさを、あらためて気付かせてくれた。

次男のしんちゃんと千葉さん

次男のしんちゃんと。お子さんは長男・長女・次男の3人。昔から3人は欲しいと思っていたとのこと。

──ピースジャムとの出会いについて教えてください。

震災の後、友だちから「赤ちゃんやママ、妊婦さんに物資を配ってる人たちがいる」っていう話を聞いたのが、ピースジャムの活動を知ったきっかけです。それから少し経ったとき、友だちが私のことを話してくれたのか、賢さん(ピースジャム代表の佐藤賢さん)から電話をいただきました。「ミルクとかオムツとか、必要じゃないですか?」っていう感じだったと思います。

賢さんに初めて会ったときは、「この人が、ミルク配ってる人なんだ・・・」って、少し驚きましたね。見た目もはっちゃけてましたし、失礼ですけど、妊婦相手にボランティアをするような人には見えなかったんです(笑)。でも、話してみたら賢さんの真剣さとかが伝わってきて、厚意に甘えさせてもらいました。ミルクやオムツだけじゃなくて、赤ちゃんの服とかチャイルドシートとかいろいろ支援してもらって、しかも家まで届けてくれて、当時は本当に助かりましたね。


──ピースジャムで働くことになった経緯を教えてください。

2012年になった頃からピースジャムで働きはじめたのですが、きっかけは電話でした。スタッフの方から「ジャム作りや縫製の仕事をしませんか?」って誘ってもらったんです。車の免許もありませんでしたが、「送り迎えもしますよ」って。

当時は免許がなくて、他のお母さんたちとの関わりも全然なくて、知らず知らずのうちに孤立した状態で子育てをしていたんだと思います。人との関わりが欲しいなって思っていたので、すぐに「やります」って答えました。縫製の仕事なら「子どもが大きくなったときに何か作ってあげられるかも」ってことも考えましたね。

これからも、新しい関係が生まれるピースジャムであってほしい。

縫製作業の様子

今、ピースジャムでは縫製で4人、ジャム作りで4人のお母さんが働いている。

──ピースジャムで働きはじめてみて、いかがでしたか?

最初の頃はここ(ピースジャム工房)ではなく、公民館で仕事をしていたんですが、他のお母さんたちがすごく気さくに話しかけてくれたのを覚えています。子どもの様子を見つつ、お母さんたちと他愛もない話をしながらミシンをするっていう、そういう雰囲気というか場所自体が心地良かったですよね。それは、今でも変わりませんが。

私は出産が早かったので、周りに同じような境遇の友だちがいなかったんです。そんなこともあってか、ピースジャムのお母さんたちとの関わりはすごく新鮮で、「人との関わりってこんなに楽しいものだったんだな」って、あらためて気付かせてもらいました。

──今後のピースジャムに期待することや、ご自身の夢を聞かせてください。

気仙沼って公園も少ないし、他のママたちとふれあう場所ってあまりないんです。ピースジャムは、キッズスペースや広場を開放していたり、ワークショップを開催したりしているんですけど、これからも子育てママが気軽に立ち寄れて、コミュニケーションが生まれる場所であってほしいなと思います。私もここのイベントで仲良くなったお母さんがいますし、そういう関係がたくさん生まれたらいいですよね。

個人的には、いちばん下の子も2歳になったので、今度は私も頑張ってみようかなって思ってます。勉強して資格を取ったり、自分に投資していきたいです。子どもたちの成長も楽しみですけど、自分自身の成長も楽しみにしてます(笑)。あとは、子どもの服を作ってみたいです。幼稚園の入園用品とかもミシンで作れたので、いつかは服にもチャレンジしてみたいと思ってます。

人とのふれあいや、社会とのつながりを実感しながら。

左はピースジャム代表の佐藤さん。しんちゃんは今にも泣き出しそうな表情

左はピースジャム代表の佐藤さん。しんちゃんは今にも泣き出しそうな表情・・・もしかして、サニエルが苦手!?

──千葉さんにとって、ピースジャムはどんな場所ですか?

ピースジャムは、私の「育児の原点」みたいな場所です。震災の2ヶ月後に一人目が生まれましたが、子育てのことなんて何にも分かりませんでした。賢さんはそんな私に手を差し伸べてくれて、ピースジャムにいたお母さんたちが、育児のこととか全部教えてくれました。

毎日、家で子育てをしていると、どんどん社会から離れて孤立するような感覚になってくるんです。みんな外に出て仕事をしてるのに、自分はずっと家にいるじゃないですか。社会からどんどん取り残されて、「世の中のことが何にも分からなくなっちゃうんじゃないか・・・」っていう不安もありました。ふとしたときに、「社会との関わりがないとこんなに寂しいんだ」って思ったり。そんなときに出会ったのがピースジャムでした。

人とふれあうことだったり、社会とつながることだったり、そういうことの大切さを知ったのも全部ここ。本当にすべてがここからはじまり、拓けていったようなスタート地点ですね。

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