27歳で緑内障と診断され、32歳のときにはほとんど見えなくなった。
――視力が失われていったときの状況を教えていただけますか。
27歳のとき、左目に異変を感じたのが最初です。当時、電気工事の現場監督をしていたのですが、照明の光が虹のように見えて「あれ、変だな・・・?」と。眼科に行ったら、「緑内障」と診断されました。それ以来、日に日に視野が欠けていきました。あのときは毎日、「明日、起きたら見えるのか・・・」という不安しかありませんでしたね。
手術も含め治療を続けていましたが、なかなかうまくいかず、32歳のときにはほぼ見えなくなって視覚障がい者の2級になりました。左目はほとんど見えず、目の前に指が何本あるのかも分からない状態。右目はわずかに見えるのですが、中心しか見えません。五円玉の穴を覗いているような感じですね。残念ながら、今の医学では視力の回復は期待できず、これ以上悪くならないように目薬をさすことしかできません。
――視覚障がいになって、生活はどう変わりましたか?
まず、仕事は視力を失う前の作業はできなくなってきたので、本社に異動して内勤になりました。パソコンは拡大すれば見えたのでデスクワークをしていたのですが、「障がい者を雇用している余裕はない」という会社の判断で、辞めざるを得ない状況になりました。事実上のクビですよね。
家族も大きなショックを受けていましたが、なってしまったものはどうすることもできないと。僕自身も「なぜ、自分が・・・」という、やり場のない気持ちはありましたが、こうなってしまったらもう向き合って生きていくしかないと思い、会社を辞めた後は筑波技術大学に進学して、あん摩・マッサージの勉強をはじめました。
運動音痴だった自分が、初めてのパラトライアスロン大会で優勝!
――トライアスロンに挑戦しようと思ったきっかけを教えてください。
日に日に視力が失われていき、絶望にも近い気持ちで過ごしていたとき、たまたま24時間テレビを見ました。そこに出ていたのは、トライアスロンをする全盲の少女。その姿を見たとき、「自分より見えない人がやっているんだから、自分だってできるんじゃないか」と思ったんです。彼女の姿に心を打たれ、自分もトライアスロンをやってみたいと思い「青山トライアスロン倶楽部」の門を叩きました。そこでコーチをしていたのが、偶然にも24時間テレビで見た全盲の少女の指導者だったんです。運命的なものを感じましたね。
トライアスロンへの挑戦を決意したものの、当時はタバコも吸っていましたし、お酒も飲んでいましたし、今より全然太っていました(笑)。おまけに、スポーツの経験もほとんどなし。最初は、泳いでも息継ぎすらできないし、走っても1キロで膝が痛くなるような散々な状態でしたね。
お酒もタバコも止めて、がむしゃらに練習して、最初のパラトライアスロンの大会(2012年4月8日 ASTCアジア選手権)を迎えたわけですが・・・・・・何と、その大会で優勝しちゃったんです。今もコーチをしてもらっている原田さんにガイド(※)をしてもらったのですが、二人で一緒に金メダル。「運動音痴だった自分でも、やればできるんだ!」っていう自信になりましたよね。
※ パラトライアスロンでは、視覚障がいのある選手は「ガイド」と呼ばれる同性の伴走者(健常者)1名が、レース全体を通して伴走する。
――過酷な競技だと思いますが、トライアスロンのどんなところが魅力ですか?
1つの種目でなく、3つの種目があるのがトライアスロンの魅力だと思います。たとえば、ずっとスイムの練習なんて考えただけでも嫌になりますし、走るだけの競技なんて絶対無理(笑)。スイム・バイク・ランと、3つあるから頑張れるんだと思います。
よく「3種目のなかでどれが得意ですか?」と聞かれますが、得意とか苦手というより、好きか嫌いかなんです(笑)。いちばん好きなのはバイクです。風を感じながら走るのは、やっぱり気持ちいいですよね。逆に、嫌いなのはラン。トライアスロンでも最後の種目なので、まあ、しんどいですよ(笑)
目標は、東京パラリンピックで金メダル!
――パラトライアスロン選手としての目標を聞かせてください。
2020年の東京パラリンピックで金メダルを獲ることです。といっても、東京パラリンピックで視覚障がいのカテゴリが行われるかどうか、まだ分からないんですよね。
パラトライアスロンは競技自体が新しく、2016年のリオパラリンピックで初めて正式競技になりました。パラトライアスロンと一言で言っても、視覚障がいや下肢障がいなど、障がいの類型や度合いによってカテゴリが分けられています。リオでは、競技が行われたカテゴリもありますが、当時、僕が属していた「PT5-M(男子視覚障がい者)(※)」は外れてしまったんです。
だからこそ、2020年にかける思いは強いのですが、現時点(2018年1月)では開催されるかどうか分かりません。でも、僕はそこにモチベーションを持っていくしかないんです。今は、東京パラリンピックで男子視覚障がい者のパラトライアスロンが開催されると信じて、そこを目指して練習あるのみですね。
※ 2017年1月に視覚障がいのカテゴリは「PTVI」に変更。
――メダル獲得への自信はいかがでしょうか?
2017年4月のアジア大会で2位だったのですが、そのときの1位が香港のKin Waという選手でした。彼は若いからどんどん速くなっていますが、僕も彼に負けないように頑張っていけば、十分に勝機はあると思っています。パラトライアスロンでは、気象条件に適応することも大切です。東京パラリンピックでは暑さ対策が重要になりますが、僕は寒いより暑いほうが断然好きなので、そこはポジティブに考えています。
2013年に初めて海外大会に出たのですが、会場がロンドンのハイド・パークで、そこがすごく寒かったんです。スイムの水温が15度くらいで、スタートしたら寒すぎて過呼吸になっちゃって・・・。おまけに、バイクも石畳のコースで滑って落車して、完走するのがやっと。苦い思い出ですね(笑)
デネブと一緒なら、どこへでも行ける。
――盲導犬との生活について教えてください。
視覚障がいになってから数年は白杖を使っていたのですが、日本盲導犬協会さんのことをホームページで知って、盲導犬と暮らしてみようかなと思いました。デネブとは5年くらいの付き合いになりますが、今はもう、デネブがいないとだめですね。一日中ずっと、どこへ行くにも一緒です。情も移りますし、本当に子どもみたいな存在です。
デネブと暮らしはじめて実感したのは、盲導犬がいると目立つので、安心して歩けることです。白杖を使っていた頃は、駅のホームに落ちそうになったこともありましたが、今はデネブがいるので安心です。
デネブがいると行動範囲も広がります。誰かに頼まなくても、行きたいときに行きたいところへ行けますしね。ただ、海外遠征のときは盲導犬協会さんや実家に預かってもらっています。連れていきたいのですが、手続きが面倒なんですよね・・・。でも、国内の合宿や大会は連れていきます。飛行機も座席の下とかに一緒に乗れますし、普通のペットと違ってお金もかかりませんし(笑)
――視覚障がい者をとりまく環境について、どのように感じていますか?
東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まってからは、少しずつですが理解が進んでいると感じています。とは言っても、飲食店の入店拒否は最近でもありますね。事前に電話して確認することもありますが、電話で断られるケースも多いです。ホテルでも、客室はOKでも食堂には連れてきちゃだめとか・・・。そのあたりは、もっと理解が深まるといいなと思います。
あとは、弱視の立場からすると、もっと文字を大きくしてほしいなと思います。役所とか銀行には老眼鏡が置いてありますが、老眼鏡より「拡大読書器」を置いてほしいです。拡大読書器が一つあれば、年配の方も含めて助かる人はたくさんいると思うんですよね。
見えてた頃より、今のほうが充実している。
――最近は、小学校での講演も増えていると伺いました。
そうですね、JTU(日本トライアスロン連合)からの依頼などで、小学校に行って講演することが増えてきました。講演では、盲導犬の話とか、パラトライアスロンのルールや自分の体験談を話すことが多いですね。「目隠しラン」や「ハンドサイクル」などで、視覚障がいや下肢障がいの体験をしてもらうこともあります。
小学生の反応は、新鮮でおもしろいですよね。たとえば、「パラトライアスロンは、スイム・バイク・ランの3種目がありますが、スイムとバイクの間は何をするでしょうか?」というクイズを出したとします。正解は「トランジション」と言って、つまり着替えなんですけど、小学生は「水分補給!」とか「休憩!」とか(笑)
本当は人前で話すのは苦手なんですけど、僕の講演で視覚障がいや盲導犬への理解が広まるならね。これからも、続けていきたいと思っています。あとは、「誰にでもできるんだ!」ということを伝えたいですね。ほとんど目が見えず、運動音痴だった自分にもトライアスロンができたんですから。
――もし、トライアスロンに出会ってなかったら、今頃何をしていると思いますか?
うーん、そうですね・・・たぶん、マッサージとかの仕事をしているんだと思いますが、特に夢もなく、あいかわらずタバコを吸ってお酒を飲んで、ただの太ったおっさんになってるんじゃないですかね(笑)
絶望のどん底から這い上がろう、前進しようと思えたのは、トライアスロンに出会えたからです。トライアスロンをはじめて、僕の人生は180度変わりました。合宿や大会で国内外のいろんなところに行くようになり、そこでいろんな人に出会い、見えてた頃より世界が広がっていきました。今、やりたいことを思い切りやっているし、生きている実感があるというか、とにかく見えてた頃より充実しています。トライアスロンと、トライアスロンを通して出会った素晴らしい仲間たちに感謝ですね。
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